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栗原寺(りつげんじ)
・場所:宮城県栗原市栗駒栗原西沢104 Yahoo地図
・説明: 安永の御書上である「栗原風土記」用明天皇二年587年の開山で、白馬山栗原寺と称し、天台宗奥州総本山であり、金堂(本堂)を中心に三十六坊に分かれ、七堂伽藍を備え、僧侶一千人を配していた。その後、たび重なる戦乱で焼失し、平泉の藤原氏滅亡後廃寺となったが元禄二年1698年仙台の憲沢山竜法寺宥日和上が再興し、宗派を真言宗に改め、?作山上品寺となると記す。栗原寺の名を古くは鎌倉期の正史「吾妻鏡」や「義経記」に識ることができる。特に「義経記」ニは、源義経が源頼朝に追われ、金売吉次に伴われ藤原秀衡を頼っての「東下り」の際栗原寺に一泊し、藤原秀衡の迎えとともに栗原寺僧兵五十人の護衛を従え平泉の中尊寺入りをしたのと記される。由緒ある寺であった。これまで栗原寺を実証する資料がなく、「幻の寺」として解明は謎に包まれていたが、昭和三十七年十一月に開始された東北大学高橋富雄教授を中心にとしたグループの発掘調査により、この境内に内地に栗原寺近藤跡が確認され、にわかに脚光を浴びた。また、栗原寺脇仏と推定される平安後期の一木彫、観世音菩薩立像や如来座像等も安置され、往事の栗原寺の壮大な伽藍配置を彷彿とさせる。





2002.6.23


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扁額 「白馬山」 2010.5.6


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金売吉次に伴われ藤原秀衡を頼っての「東下り」の際栗原寺に一泊